【ピッコロミニ図書館】
ピッコローミニ図書館内部
ピッコロミニ図書館はシエナ大聖堂の左側に隣接する司祭館に、 シエナ大司教フランチェスコ・ピロミニ・トデスキーニ枢機卿(後の教皇ピウス3世)が、 1462年に死去した人文主義者で叔父の教皇ピウス2世が所蔵した書籍の膨大なコレクションを保管するため、1492年に建造した。
1502年から1507年にかけてピントリッキオ とその助手達がフレスコ画で壁面を覆い尽くした。そこには、ピウス2世の生涯が10章に渡って描かれている。 助手の中には、当時すでに有名だったボローニャ出身の画家、アミコ・アスペルティーニと 若き日のラファエロ・サンティがいた。
ピントリッキオは下絵を製作する段階で、ピエトロ・ペルジーノ工房にいた若者ラファエロ・サンティと共同製作したことがわかっている。
目次
● 壁面のフレスコ画
・ アネアス・シルヴィウス・ピッコロミニがバーゼル会議に向けて出発
・ スコットランド宮廷に派遣されたアエネアス・シルヴィウス大使
・ アネアス・シルヴィウス、皇帝フリードリヒ3世より詩人の称号を授かる
・ アネアス・シルヴィウスがポルトガルのエレノアを皇帝フリードリヒ3世に引き合わせ、
結婚を取り持つ
[歴史]
1492年から1502年にかけて、シエナ司教のフランチェスコ枢機卿は、大聖堂の左側に隣接する司祭館のいくつかの部屋に、 叔父であり人文主義者であり教皇であったエネア・シルヴィオ・ピッコロミニ(1464年没)の貴重なコレクションを収蔵する部屋を作った。
1497年頃から、 ロレンツォ・ディ・マリアーノが図書館正面入口の大理石外壁を制作し、入り口上部には、ピントゥリッキオが描いたフレスコ画「ピウス3世の戴冠式」がある。 また、入り口ドアを縁取る2つのアーチとその下の壁面には、 福音書記者聖ヨハネを描いた トンド(15世紀末にジョヴァンニ・ディ・ステファノが彫刻したと考えられているが、年代、帰属、出所は不明)が浅浮彫りされている。
ピッコローミニ図書館入口
ピウス3世の戴冠式
アーチ装飾
トンド
16世紀初頭にピッコロミニ図書館の絵画装飾は、当時名声を博していたウンブリア出身の画家ピントゥリッキオに委ねられた。
この契約は1502年6月29日に結ばれ、その中で、天井はグロテスクで鮮やかに装飾され、壁面にはピウス2世の生涯を描いた10の物語が描かれることになっており、さらに
その契約の中でピントゥリッキオに対し、「物語の下絵は自分の手で壁に描き、それをすべて自分の手でフレスコ画にし、完成度を高めるために セッコ による修正で完璧に仕上げること」を要求していた。
[概要]
図書館のホールは長方形の間取りで、に覆われ、2つの尖頭アーチ窓から光が差し込んでいる。
有名なバリリの彫刻が施された写本用の木製戸棚、ピッコロミニの三日月形をあしらった 菱形のタイルの床、入口ドアの上にある「地上の楽園からの追放」を描いたスタッコ製の エディーコラは、ガイアの泉にあるヤコポ・デラ・クエルチャ のレリーフに由来するもので、 ロレンツォ・ディ・マリアーノか当時の匿名の彫刻家によるものと思われる。
バリリの彫刻がほどこされた写本用の木製戸棚
ピッコロミニの三日月形をあしらったタイルの床
「地上の楽園からの追放」を描いたエディーコラ
図書室の中央にある彫刻は「三人の女神」を描いたもので、フランチェスコ・トデスキーニ・ピッコロミニ(教皇 ピウス3世 )が所有していた ヘレニズム時代のオリジナル(紀元前4~2世紀)を古代ローマ時代に複製したものである。
「三人の女神」の彫像
ピウス2世の書物がシエナに届くことはなかった。 今日、壁面のショーケースには、15世紀のイタリアの装飾写本の歴史をほぼ完全に網羅するコレクションである、数々の装飾写本(グラドゥアルとアンティフォナリー)が収められている。
最も貴重な作品は、シエナの芸術家、リベラーレ・ダ・ヴェローナ とジローラモ・ダ・クレモーナの作品に加え、1460年代後半に北イタリアから呼び寄せた有名な挿絵画家が描いた一連の装飾写本である。
ジロラモ・ダ・クレモナの装飾写本
『マギの礼拝』
『マギの礼拝』の彩色画Detail
交唱聖歌楽譜
天井の装飾
天井の装飾
は、
中央の長い長方形を半分に割った の部分と で支えて構成されている。
この装飾は、当時再発見され、多くの芸術家たちが頻繁に模倣していたドムス・アウレアの四角い丸天井にヒントを得、 その形を中世の建築様式である十字型の丸天井に置き換えてたものである。
長辺は金黄地に4枚の三角形の帆型をした部分、青地に3枚のスパンドレル、 短辺は黄地に1枚のスパンドレルと2枚の赤い帆型部分である。
そして、その派手な色の上に、古めかしいグロテスク
なものが厚くかぶせられている。
中央の長方形は帯状の装飾と幾何学的な区画に分かれており、中央にはピッコロミニの紋章が花輪のように描かれている。 幾何学的な区画には、石棺の浮彫りからインスピレーションを得たといわれる美徳や異教の神話が描かれている。
天井に描かれたピッコロミニの紋章
ヴォールトの装飾
壁面のフレスコ画
壁面のフレスコ画
壁面は10個のアーチに分かれており、絵の枠組みは遠近法で描かれたアーチを模している。
グロテスク な装飾が施された壁柱は、一種のロッジアを形成している。
フレスコ画の装飾のテーマは、ピウス2世 の「生涯における出来事」である。 場面のデッサンでは、登場人物の群れの構成を考え、毎回主人公を盛り上げるように研究されており、 屋内と屋外の両方が舞台となっていて、快適な風景と都市の記念碑的な背景が交互に現れる構図になっている。
ピントゥリッキオ はデッサンの段階で、若き日の ラファエロの協力を得ていたことが判明している。
ジョルジョ・ヴァザーリは「ピントゥリッキオの生涯」で、ラファエロがデッサンやカルトンの一部を描いたと書いているが、
同著「ラファエロの生涯」では、10章全部のデッサンとカルトンをラファエロに任せたと記載され、食い違いがある。
これらのカルトンのうちの1つは、ヴァザーリが「ピントゥリッキオの生涯」を書いた時点ではまだシエナにあり、 他のデッサンはラファエロの個人的な画帳に残っていた。
研究者が概ね認めているところによると、ラファエロが描いた2枚の小カルトンといくつかのデッサンが現存している。 カルトンの1枚はピッコロミニ家から1586年にシエナのバルデッキ家が譲り受けたもの、 もう1枚はウフィッツィ美術館デッサン・版画部に保管されている。 デッサンは、アシュモレアン美術館、ウフィッツィ美術館、ルーヴル美術館が所蔵している。
しかし、フレスコ画の制作は、ピントゥリッキオとその助手たちによるものであることに間違いはない。そのスタイルは細密画に似ている。 シャープで、鮮やかな色を巧みに組み合わせ、武器や宝石、仕上げなどに金箔を使った装飾や立体的な表現がふんだんに盛り込まれている。
アネアス・シルヴィウス・ピッコロミニがバーゼル会議に向けて出発
アネアス・シルヴィウス・ピッコロミニがバーゼル会議に向けて出発
アネアス・シルヴィウス・ピッコロミニ
バーゼル公会議に出発
バーゼル公会議Detail-1
バーゼル公会議Detail-2
バーゼル公会議Detail_嵐
ラファエロが描いた下絵
スコットランド宮廷に派遣されたアエネアス・シルヴィウス大使
スコットランド宮廷に派遣されたアエネアス・シルヴィウス大使
スコットランドの宮廷に派遣されたアネアス・シルヴィウス大使
格天井や金色の円花飾りが施された天井の両方が広角の視点でよく見えるようになっている。
主人公たちの後ろには、柱のコリント式柱頭から のメダリオンや螺旋模様に至るまで、 アンティーク調の装飾が施された壮大なロッジアがあり、そこからは素晴らしい風景が広がっている。
君主の左に見える赤い服を着た人物が、アネアス・シルヴィウスだ。
スコットランド宮廷Detai
アネアス・シルヴィウス、皇帝フリードリヒ3世より詩人の称号を授かる
アネアス・シルヴィウス、皇帝フリードリヒ3世より詩人の称号を授かる
詩人の称号を授かるアネアス・シルヴィウス
アネアス・シルヴィウスは、新たに選出された皇帝フリードリヒ3世 に敬意を表するため、 アンティポープ・フェリックス5世 からアーヘンに派遣された。
ピッコロミニはフリードリヒ3世の信望が厚く、主席書記の職を得ただけでなく、詩人として名誉ある月桂樹の戴冠式を受けるなどの特権を与えられたのであった。
このシーンは、戴冠式そのものを描いたもので、皇帝から称号を拝受するアネアス・シルヴィウスが中央に描かれている。 混雑した広場の背景には白とピンクの宮殿があり、ポルチコ で囲まれた広場の天井は、壮大な樽型のヴォールトで開放感を描きだしている。
ピッコロミニはフリードリヒ3世の信望が厚く、主席書記の職を得ただけでなく、詩人として名誉ある月桂樹の戴冠式を受けるなどの特権を与えられたのであった。
詩人の称号を授かるDetail
アネアス・シルヴィウス、ユージーン4世に服従の意を示す
アネアス・シルヴィウス、ユージーン4世に服従の意を示す
ユージーン4世に服従の意を示すアエネアス・シルヴィウス
フレデリック3世 の代理人であるアネアス・シルヴィウスは、教皇ユージン4世 への服従を表明した。このシーンは、実際には病気の教皇の寝室で行われたものであるが、画では枢機卿達の輪の中央に玉座をしつらえ、 そこで、愛を持って祝福する教皇の足に、黄色い服を着たアネアス・シルヴィウスがキスをする、という舞台設定になっている。
ロッジア の向こうには街並みが広がっており、1447年にエネア・シルヴィオがトリエステの司教に任命された場面が描かれている。
アネアス・シルヴィウスがポルトガルの王女エレノアを皇帝フリードリヒ3世に引き合わせ、結婚を取り持つ
アネアス・シルヴィウスがポルトガルの王女エレノアを皇帝フリードリヒ3世に引き合わせ、
結婚を取り持つ
シエナの司教アネアス・シルヴィウスがエレノアを皇帝フリードリヒ3世に引き合わせ、結婚を取り持つ
シエナの司教だったアネアス・シルヴィウスは、ポルトガルの王女エレノア・オブ・アビス をフレデリック3世に引き合わせ、結婚を取り持ち、二人をシエナの街に迎え入れた。
背景には、実際に二人を引き合わせた場所であるカモッリア門の外の様子が細かく描かれている。 中央には、新婚夫婦の紋章が描かれた柱がある。この柱は、当時、シエナ共和国によって建てられたもので、現在も残っている。
多数の傍観者の中には、アルベルト・アリンギエリ(ドゥオモのオペラ歌手、ロードス島の騎士)、アンドレア・ピッコロミーニ(ピウス3世の弟)とその妻アグネーゼなどが描かれ、 当時のシエナの生き生きとした様子が描写されている。
皇帝フリードリヒとエレオノーラDetail
シエナの街並みを望むディテールDetail
枢機卿の帽子を拝受するエネア・シルヴィオ
枢機卿の帽子を拝受するエネア・シルヴィオ
枢機卿の帽子を拝受するエネア・シルヴィオ
エネア・シルビオは、1456年にカリストス3世 から枢機卿に任命され、サンタ・サビーナの称号を与えられた。
この場面も豪華な部屋を舞台に、他の作品と同様に広い視点で描かれている。
前景の左側では、教皇が跪いたピッコロミーニの頭に枢機卿の帽子を被せている。 前景で振り返っている二人を含め、何人かの傍観者がいて、場面の中央に向かって身振りをしている様子が描かれている。。
舞台の中央には礼拝堂の祭壇があり、ピッコロミニ家の保護聖人である長老ヤコブとアンドレが聖母子との聖なる対話を描いた祭壇画がある。
ピウス2世がローマ法王として戴冠し、バチカンに入る
ピウス2世がローマ法王として戴冠し、バチカンに入る
ピウス2世がローマ法王として戴冠し、バチカンに入る
新教皇ピウス2世 のサン・ジョバンニ・イン・ラテラン への到着(1458年)は、左から教皇が座ったセダンチェアが全員を祝福しながら進む、という動的な構成になっている。
身廊の中央に並ぶ白い帽子をかぶった司教の列は、視線を奥へ導く役割を果たしており、 多少の脚色や不自然さがあったとしても、改築前のの姿を表現している。
ピウス2世Detail
ピウス2世、マントヴァ公会議を開催
ピウス2世、マントヴァ公会議を開催
ピウス2世、マントヴァ公会議を開催
ピウス2世は、オスマン帝国の進出を食い止め、1453年に征服されたコンスタンティノープルを奪還することを優先課題としていた。 そのため、1459年、ルドヴィコ・ゴンザーガの宮廷で、 マントヴァ の諸侯の議会を招集した。
外の景色を見渡せるポルチコ はペルジーノ が創始したウンブリア地方の伝統に則ったもので、右側にある玉座は他の場面にも見られるものであるが、中央の枢機卿のグループと他の大勢の見物人とを隔てる幕を短縮法を用いて描いている点がより独創的だ。
マントヴァ公会議Detail
ピウス2世、シエナの聖カタリナを列福
ピウス2世、シエナの聖カタリナを列福
ピウス2世、シエナの聖カタリナを列福
1461年6月29日、シエナの聖カタリナの列福 に至るまでの長い手続が終了した。
この画は、左右の壁の高さに合わせ、2つの場面を上下に重ねて構成されている。
1つは、周囲を優美なグロテスクで覆われたピウス2世の玉座とその階段の下に横たわる聖人の遺体、
もう1つは、火のついた蝋燭を持った教皇と一連の傍観者が描かれている。
下の場面の左下隅に、洗練された服装とやや仰々しいポーズの二人の紳士が描かれているが、青いマントをはおり赤いタイツを履いている若者がラファエロ。その右隣、赤い帽子をかぶった男性はピントリッキオである。
天蓋の上に見える背景の建築物は、暗くぼやけて見えるが古代のサン・ピエトロ大聖堂の一部である。
ラファエロとピントリッキオDetail
ピウス2世、十字軍開始のためアンコーナに到着
ピウス2世、十字軍開始のためアンコーナに到着
ピウス2世、十字軍開始のためアンコーナに到着
ピウス2世の最後の仕事は、コンスタンティノープルを陥落させ、 さらにビザンチン帝国全体を手中に収めようとしていた、ムハンマド2世率いるオスマン・トルコに対する十字軍を提唱、 消極的な態度を示すヨーロッパの諸侯を押し切って推進することだった。
このため、1464年6月18日、ピウス2世は高齢で病床にあったにもかかわらず、アンコーナ港から出発する十字軍を指揮するために現地に赴き、 ここでヴェネツィア艦隊の到着を見届けた後、1464年8月14日に死去した。 教皇の死後、十字軍は直ちに解散した。
このシーンは明らかに、十字軍が失敗であったにもかかわらず、祝賀の色合いが濃く、中央では教皇が玉座に座ってなにか指示しているように見える。 画には様々な肖像が描かれている。左にはヴェネツィアのドゥカーレ(総督/公爵)のクリストフォロ・モロが跪き、モレア(モレアス専制公領)の退位した専制君主、トンマソ・パレオロゴが青い頭飾りと長い赤髭をつけて立っており、右には東洋の高官、サモス島の退位した王子、ハッサン・ザッカリアが跪き、サルタンの息子でローマに人質として置かれているセムが立っている。
背景には、現実にかなり忠実なアンコーナの風景が描かれている。ヴェネツィアのガレー船がある港、14世紀の城壁とトラヤヌスのアーチ、 そしてサン・シリアコ大聖堂が頂上にあるグアスコの丘が見える。
アンコーナに到着したピウス2世
アンコーナの眺めDetail
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